国母問題について(長文)

大会終了後、勝てなかった選手はお偉いさんたちにとってはもうゴミです。だれもシャイな高校生の競技後の気持ちなど考えない。だれもそれをケアしようとしない。日本のスポーツの世界なんてこんな程度です。世の中が変化しスポーツの世界も変化しているのに、いまだにアマチュアリズムやスポーツマン精神、たてまえや、お偉いさんのメンツの方が一競技者より優先されます。まだ若い一選手に日本というものを背負わせるのは重すぎると思います。スポーツマン精神は競技者のなかから生まれるものなのにいつのまにか一般大衆の価値観で決められてしまっているようです。
国母君の服装のみだれって何処が基準なんでしょうか?ユニフォームの日の丸をはぎ取った訳じゃないし、一個人の価値観を押しつけすぎ何じゃないでしょうか?

たかだか着こなしが乱れているというだけで、
許せないとか国辱とか五輪を辞退しろだとか言い出す人たちの心の乱れのほうが気になり、
当の本人の服装問題については、ホント、どうでもよくなってしまったのでした。

普段からスノボを愛し、応援している人が、いいわるいを言いだすのなら、まだ分かるのだけれど、
4年に1度、競技の行われる数日程度だけスノボに関心を持つ程度の軽さで、
人生をそれにかけてきた若者の情熱を潰していいはずがない。断じて、ない。

同じ日本人というだけで、そんなことができる権利があるだなんて言い張れる神経のほうが自分には気持ちが悪く、彼らと同じ日本人として見られることが恥ずかしく思えてならなかったのでした。

大学で出席しないのは「ずるい」? - m-birdとFreeBSDの同棲日記

彼らの「ずるい」という考えのロジックが見えてきます。出席せずに優を取った人と出席して優を取った自分を比較して、その単位が同じものにしか見ず、ずるいと思ってしまうのでしょう。成績というレッテルばかり大きくなり、その下地を過少評価しているからかもしれません。本来ならば、講義をサボって「講義から吸収できたはずの物事」を逃してしまっている方が損であるのに、それに気づけていないということです。

自分より楽をして結果を得ている(ように見える)人を見ると、ずるい、うらやましい、という気持ちが沸く。
だが、それは事象を一面的にしか見ていないだけ、という話。
彼らは夏のキリギリスかもしれない。
だとすれば、無用なジェラシーを抱くのは不毛だし、
自分にとって必要だと思う講義に、真面目に出た自分に自信を持てばいい。

あるいは、

不真面目=許せない、と思ってしまうのは、
真面目でありさえすれば報われるべきだという、過剰な正当意識の露出なのでは? という疑いを持ったほうがいいのかもしれない。
真面目か不真面目かで優劣がつくのは道徳の時間ぐらいなもので、
評価されるのは結果だけだ、ぐらいの腹のくくり方が人生には必要だろう。

過程と結果は両方とも大事で、片方だけを過大評価するべきではない。

これもまた、物事を一面的にとらえてはいけない、という話。