大学で出席しないのは「ずるい」? - m-birdとFreeBSDの同棲日記
彼らの「ずるい」という考えのロジックが見えてきます。出席せずに優を取った人と出席して優を取った自分を比較して、その単位が同じものにしか見ず、ずるいと思ってしまうのでしょう。成績というレッテルばかり大きくなり、その下地を過少評価しているからかもしれません。本来ならば、講義をサボって「講義から吸収できたはずの物事」を逃してしまっている方が損であるのに、それに気づけていないということです。
自分より楽をして結果を得ている(ように見える)人を見ると、ずるい、うらやましい、という気持ちが沸く。
だが、それは事象を一面的にしか見ていないだけ、という話。
彼らは夏のキリギリスかもしれない。
だとすれば、無用なジェラシーを抱くのは不毛だし、
自分にとって必要だと思う講義に、真面目に出た自分に自信を持てばいい。
あるいは、
不真面目=許せない、と思ってしまうのは、
真面目でありさえすれば報われるべきだという、過剰な正当意識の露出なのでは? という疑いを持ったほうがいいのかもしれない。
真面目か不真面目かで優劣がつくのは道徳の時間ぐらいなもので、
評価されるのは結果だけだ、ぐらいの腹のくくり方が人生には必要だろう。
過程と結果は両方とも大事で、片方だけを過大評価するべきではない。
これもまた、物事を一面的にとらえてはいけない、という話。