じぶんのあたまでかんがえない http://katsujiya.posterous.com だれかのことばにしはいされよう posterous.com Sun, 04 Dec 2011 21:15:00 -0800 世代間負担論の到達点 - 経済を良くするって、どうすれば http://katsujiya.posterous.com/84039812 http://katsujiya.posterous.com/84039812
結局、「世代間格差」なるものは、少子化の大きさを示しているだけなのである。加藤先生の本のP.31には、世代間不均衡の国際比較が出ているが、不均衡の大きい日本、イタリア、ドイツは、少子化の国であり、その激しさの順に並んでいる。不均衡の小さい米国、フランスは、少子化のない国だ。巨額の財政赤字を抱える米国がドイツより小さいのは、人口が増えているためである。

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前置きが長くなった。世代間負担論の到達点は、次のようなものだ。第一に、賦課方式は、長寿化について「フリーランチ」が得られるということである。それゆえ、長寿という人類にとっての福音がもたらされたときに、賦課方式の選択によって社会保障制度が整えられたのは当然のことだった。

第二に、少子化にならない限り、負担が給付を上回る「損」は出ないということだ。これは、「損」は、すべて少子化に原因があるということでもある。そこから、原因者負担の観点に立って、「損」は少子化を起こした者、すなわち、子供を持たなかった者が、すべて負うべきだという論理が出てくる。ただし、これは、理屈としては正しくても、社会常識からは外れている。筆者も、特に女性に説明するときには、慎重にしているところだ。

第三に、「損」の原因が少子化にあるのだから、賦課方式における給付と負担の均衡は、子供を持たない者に給付をしないことにすれば、達成できるということだ。親世代を子世代が支える賦課方式において、支える者のない「子供を持たない者」に給付しなければ、給付と負担が均衡することは、容易に想像できるだろう。「損」の発生は、少子化で細ってしまった子世代に多くの負担させたり、細った子世代を助けるために、少子化を起こした世代の給付を少なくしたりするために起こる。

第四に、もし、子供を持たない者にも給付をするのであれば、負担と給付を均衡させるには、子供を持たない者に「二重の負担」を課す必要があるということだ。子供を持たない者には、支える子世代がいないのであるから、その代わりに「二重の負担」をしてもらい、「積立金」を用意してもらわねばならない。子供に頼れない人には、貯金を用意してもらうという、普通の論理である。この場合、子供を持たない人の年金保険料は2倍となる。


(後半・今日の掲載分)
第五に、年金制度における最適な積立金の総額は、子供を持たない人の人数に従って、算定できるということである。例えば、少子化がなければ、年金積立金はゼロで良いし、逆に、誰も子供を持たなくなってしまったら、全員が「二重の負担」をしなければならないということになる。まあ、次世代がゼロ人では、貯蓄をしても無意味だろうが。

これによって計算される、子供を持たない人の分だけの最適な積立金の総額は、全員が「二重の負担」をする積立方式への転換で必要とされる総額より遥かに小さいものになる。激しい少子化を起こした団塊ジュニア世代は、まだ社会の中堅なので、直ちに2倍の負担をしてもらえば、今から最適額を確保することもできなくはない。

第六に、年金の賦課方式から積立方式への転換は、無意味だということである。この場合、積立方式への転換とは、子供のある人も含めて、全員が「二重の負担」をすることを意味する。子供を持たない人だけが負担すればよいものを、全員が負担するのは、おかしいということだ。子供のある人にも加重負担をかけて家計を苦しくし、子供を増やすことあきらめさせるようなことになったら、目もあてられない。

また、積立方式への転換は、数理的にも、無意味なことが証明されている(例えば、小塩隆士「人口減少時代の社会保障改革」)。積立方式への転換の意図は、少子化によって発生する「損」を避けようとするものだが、そのために必要になる「二重の負担」は、本質的に同じものなのである。

しかも、「二重の負担」は、出生率ゼロに対応するものなので、常に、少子化の「損」≦ 「二重の負担」の関係が成り立つ。つまり、少子化の「損」を避けるために、より大きな「二重の負担」をしようというのは、論理の破綻でしかない。かつて盛んだった積立方式への転換論が廃れた最大の理由はこれだ。問題は、方式の転換にあるのではなく、誰に「損」を負担をさせるのかである。

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まとめてみよう。世代間の不公平を、「給付より負担が大きくなって「損」をする世代が出ること」と定義すると、その原因は少子化にあり、原因者である「子供を持たない人」に、「二重の負担」、すなわち、2倍の保険料を課すようにするか、あるいは、給付をしないことにすれば、「損」は解消されるということである。

これを聞くと、「子供を持たない人」に「損」が寄せられただけに思われるかもしれないが、老後を支えてくれるはずの子供を残さなかったのだから、その代わりに2倍の保険料を払って貯金をしておくのは、当然の義務であろう。また、子供を養育するという負担を免れているのだから、貯金をするだけの余力もあると見ることもできる。

反対に、支えてくれる子供も、貯金も残さずに、老後を迎えるということは、親世代、同世代、子世代に迷惑をかけることになる。これが「不公平」の正体である。本当は、「不公平」は世代間ではなく、子供の有無にあるのだが、世代会計論は、世代別でしか勘定しないから、それが見えないのである。

「子供を持たない人」が2倍の負担をしなければならないことは、原因者責任という観点からだけでなく、経済的な視点からも正当化できる。子供の養育という、必要な人的投資をしなかったのだから、給付というリターンが得られないのは当然と考えるわけだ。人的投資をしないで、給付を受けたければ、代わりに貯蓄をして「物的投資」をするほかない。

この2倍の負担だが、現在の年金と健康保険の保険料率は、合わせて25%ほどであるから、その2倍を負担するとなると、大雑把に言って、子供のない人の保険料率は50%にもしなければならない。大変な負担に見えるが、子供を養育している家計の苦しさも、そんなものである。そうした重い負担を免れて、平等に給付を受けるとしたら、その経済的なインセンティブは極めて大きい。

もしかすれば、この大きなインセンティブは、社会保険へのフリーライド(タダ乗り)を助長して、今の少子化の一因になっているのかもしれない。裏返せば、「不公平」を正すために、子供のない人の保険料率を2倍にしたら、それぐらいならと、結婚をしたり、子供を持とうとする人が現れるかもしれないということである。

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実際の年金制度は、この少子化による「損」に、どのように対処しようとしているのであろうか。二つあって、一つは年金積立金による対応である。団塊の親世代や団塊世代は、少子化を起こさなかったから、年金数理的には積立金を残す必要はなかったが、給付に必要な以上の保険料を払って、積立金を残してくれた。もし、出生率が1.75程度の緩やかな少子化であれば、これで対処できて、世代間の「不公平」は生じなかっただろう。

ところが、団塊ジュニア世代は、この安全ネットを突き破る激しい少子化を起こしてしまった。そのため用意されたのは、年金国庫負担という名前の税負担による対処である。税負担を増し、年金国庫負担を1/2にまで引き上げなければ、保険料を下回る給付しかできないところに追い込まれていた。これに厚労省が必死になるのは当然だろう。

こうして、保険料負担の範囲では、一応、「損」の解消は実現された。小黒さんや加藤先生は、「事前積立方式」と称して、保険料率を現行計画より引き上げることを主張されているようだが、それをすると、税負担を軽くすることにつながるものの、他方で、保険料率に見合う給付ができなくなるという厄介な問題が生じるだけに思われる。「不公平」を正そうとするなら、やはり、少子化を緩和するか、子供を持たない人の負担増・給付減をするしかない。

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世代間格差は、本当は、世代間に格差があるのではなく、世代によって少子化の度合いが異なるために、世代間に格差があるように見えているだけである。したがって、問題を解決しようと思うなら、世代間の格差を縮小しようするのではなく、少子化を緩和するか、子供の有無による不公平を正さなければならない。

最近の世代間格差の議論で気になることは、本質を取り違えているために、いたずらに負担増に走っているように見えることだ。実は、2004年の年金改革の計画では、未だ積立金を取り崩す時期ではなかったのだが、財政当局の緊縮財政によって内需が拡大せず、雇用者報酬が低迷して保険料が集まらなかったために、少子化の「損」を埋めるはずの積立金を減らす結果になった。

つまり、成長に見合わない無理な負担増は、いかに世代間格差なるものがあるとしても、結局は格差を広げるだけになる。特に、団塊ジュニアが激しい少子化を起こしてしまったのは、1997年のハシモトデフレの無謀な緊縮財政によって、それ以来、日本経済の低迷が続いていることがある。

世代間格差を解消すると称して、財政赤字の削減や年金積立金の増強を求めるのは結構だが、それによって増した貯蓄の使途、つまり、投資先まで考えないと、経済を縮小させるだけに終わる。投資先を考慮せず、ひたすら緊縮財政をやってしまうという、財政当局に特有の視野狭窄に陥ってはならないだろう。

また、貯蓄は、マクロ的には、いくらでもできるというものではない。貯蓄=投資であり、設備投資などを増していけば、労働力の限界に突き当たるからである。ただでさえ、少子化で労働力の天井は低くなっているのに、激しい少子化に見合う莫大な年金積立金=投資をしようとするのは無理がある。

日本は、1980年代からハシモトデフレまで、大規模な年金積立金の増強を行ったが、それによって消費不足を招き、それを補うのに、財政赤字を出して公共事業をすることを余儀なくされた。何ということはない、年金積立金で公共事業をしていたようなものである。無理な貯蓄をすると、経済に歪みが生ずるという格好の事例だ。

世代間格差とはつまるところ少子化の問題。
団塊ジュニア世代以降が子どもを作れるようにしていくことが重要。

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Sun, 04 Dec 2011 21:10:00 -0800 不公平とパイの分け方 - 経済を良くするって、どうすれば http://katsujiya.posterous.com/84039395 http://katsujiya.posterous.com/84039395
高齢者への社会保障給付は、2009年度に2.5兆円増えた。もし、日本経済が2.1%成長をするなら、GDPは11.3兆円ほど増えるから、給付増はその22%に当たる。高齢者の人口割合は23%(2009年)ほどであり、人口比に従って増加分の「パイ」を分けると考えれば、それほど「不公平」な感じはしない。

もちろん、経済成長が0.5%しかなければ、「パイ」のすべてを高齢者に持っていくことになるから、これは「不公平」だということになろう。痛みを分かち合おうというのも理解できる。こうしてみると、世代間の「不公平」論は、経済が成長しないことへの不満の矛先を、世代や社会保障に向けさせるものであることが分かる。

先ほど、「2.1%成長をするなら」と書いたが、これは、2003年度以降の平均値である。ただし、リーマン・ショックの2年間は除いたものだ。つまり、平時なら、日本は、これだけの成長ができるということだ。成長を果たした年においても、稚拙な緊縮財政で内需を阻害していたから、そんなことをしていなければ、もっと成長率は高かったろう。

例えば、2010年度は、マイナス14兆円の度外れたデフレ財政が試みられたにも関わらず、外需が好調だったこともあって、2.4%成長を達成した。さすがに、年度後半は、マイナス成長に沈んだが、内需寄与度は1.5%もあり、財政当局のイジメが軽ければ、4%近いV字回復もあり得ただろう。外需の好調時に、隠れて緊縮をし、潜在力を潰すのが、日本の財政当局の得意技である。世代間の損得の勘定より、財政運営の監視の方が遥かに重要だ。

今週の日経ビジネスの特集の「長寿がひらく未来」では、長野県泰阜村という山村が登場するのだが、高齢化のピークは過ぎて、高齢者の数が減り始めたという。実は、全国でも、高齢者数の急増は、あと3年ほどであり、その後は増加が鈍り、安定し始める。高齢者給付の人口要因による大幅な増加は、まもなく終わるということだ。そうなれば、「パイ」の配分の問題は、更に薄らいでいくだろう。

むろん、医療・介護に費用がかかる75歳以上の後期高齢者の急増は続くが、年金給付の50兆円に対して、医療給付は1/5、介護給付は1/7である。大半を占める年金給付は、成長して物価が上昇すれば、毎年0.9%の削減がかかることになっている。こういう観点からも、成長というのは大切なのである。

 

 

 

 

少子化を抜け出すか、経済成長をすれば、日本のかかえている問題は解決できる。

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Sun, 27 Nov 2011 20:00:00 -0800 日本よ、雪白の翼を再び - 経済を良くするって、どうすれば http://katsujiya.posterous.com/82485921 http://katsujiya.posterous.com/82485921
少子化だが、最大の原因は、乳幼児期の保育が圧倒的に不足していることにある。現在は、子供を産むと預け先に困り、容易に仕事に戻れない。いきおい、出産か、仕事かの択一となり、子供をあきらめる人が続出して、合計特殊出生率1.3台という極端な少子化になる。ここまでは常識である。

 なぜ、乳幼児の保育が不足しているのか。これはコストが極めて高いからである。0~2歳児は、1人の保育士が3~6人の子供しか看ることができない。3歳以上になると、これが20人になる。保育所不足も、よく見ると3歳以上は概ね足りているのは、そういうわけなのだ。このコストをどう賄うか。ここで消費税を持ち出すようでは知恵がない。

 必要なのは年金数理だ。若者が働き始め、年収300万円をもらうとすると、年間の年金保険料は48万円ほどになる。6年経って結婚する頃には、若い夫婦の累計額は6×2倍の576万円になる。社会保険というのは、払った分は返ってくるのが大原則である。そこが反対給付と無関係に取られる税とは異なる。つまり、この576万円は、請求権という形ではあるが、貯金のようなものだ。*1

 これを少子化対策に使えるようにする。具体的には、乳幼児期の0~2歳の3年間、月額8万円を引き出せるようにする。子供2人分なら総額576万円である。8万円あれば、無認可保育所でも楽に預けることができる。若い母親がこれだけの支払い能力を持てば、それを目当てに次々に保育サービスが供給されるようになるだろう。これで保育所探しに駆けずり回る必要はなくなる。この少子化の最大のネックが解消されることで、出生率は大きく向上し、若者が希望する水準である1.75まで伸びるだろう。*2

 さて、こんな給付をして、年金財政は大丈夫なのか? むろん、何の問題もない。乳幼児給付を行う分だけ、老後の年金給付は減るので、年金財政上は、差し引きゼロの中立になるからだ。年金制度は十分な積立金を持っているので、当面の資金繰りにも困らない。

 それなら、年金給付を減らして、老後の生活に支障は出ないのか? 実は、576万円と言っても、老後の給付全体から言えば、15%ほどに過ぎない。それどころか、乳幼児期の給付をする方が、逆に年金額は増すはずだ。

 なぜなら、女性が仕事を辞めずに済み、より多くの保険料を納められるようになるからだ。働き続けられれば、576万円くらいは簡単に取り戻せる。もし、どうしても年金を減らしたくないのなら、引き出さなければ良いだけだ。乳幼児給付は、引き出しの選択権を与えるものなのである。*3

少子化対策の財源として、年金を若いうちに引き出せる権利を子どもを持つ若者に与える。これは妙案だと思う。

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