ZEW景況感調査に現れているヨーロッパ経済の復活 いま我々が心配しないといけない事は日本のてごわいライバルであるドイツを勝ちっぱなしにさせないということだ  - Market Hack

LTROとQEの違いを説明しておきます。QEの場合は中央銀行が銀行の持っている債券などを買い入れ、それと引き換えにキャッシュを渡します。だから銀行のバランスシートは改善します。

一方LTROは銀行が持っている資産の所有権はそのままにECBがその担保に対して貸付を実行します。これはその担保となっている資産の価値が毀損した場合、担保価値の値下がりリスクから銀行が逃げられないことを意味します。ただECBがどんな担保でも文句を言わずにキャッシュを貸し続けるというコミットメントがあれば、それはそれらの担保価値の怪しい証券類の価格を下支えする意味があるのです。

またLTROはECBが実質的に輪転機を回してユーロ紙幣をどんどん印刷することを意味します。それは為替をユーロ安へ導く効果があります。

LTROは実質的な金融緩和策。
今後もユーロ安は続く。
しかし、日米欧がそろって金融緩和するってことは新興国はインフレorバブルになるのかな。大変な国も出てきそう。

金融市場Watch Weblog  ECB理事会~政策金利の25bp引き下げと非標準的手段の拡充

今後もECBは経済のダウンサイドリスクを考慮しながら、緩和的なスタンスを取っていくものと思われる。しかし、これ以上の利下げについてはやや難しい面もある。それはコリドーの操作に係わる部分である。ECBでは3つの金利体系があり、上限金利である限界貸出ファシリティ金利(ディスカウントウィンドウを利用する際に適用される金利)主要リファイナンス金利(オペで適用される金利)預金ファシリティ金利(超過の流動性を預け入れる金利)があるが、この3つの金利は現状75bpの差が付けられている。そして預金ファシリティ金利については0.25%であり、これ以上引き下げるのは現実的ではない(Fedも超過準備には25bpの金利を付与している)。ドラギ総裁も"ECB deposit facility level is not distant from level post Lehman"としており、リーマンショックの時と預金ファシリティ金利の水準はそれ程離れているわけではなく金利の引き下げ余地についても限界に近いことを示唆する発言を行なっている。このことから、今後金利を引き下げる際にはコリドーを狭めていくしかないが、75bp未満はこれまで実施したことがない(トリシェ総裁時の金融危機においてもこの水準を割り込んだことはない)。従って、現状コリドーを変更する意思がないのであれば、今回で利下げは打ち止めになるし、仮にコリドーを50bpに引き下げるとしても、あと1回しか出来ないということになる。従って、今後さらなる緩和策が必要とされた場合、どのようにコリドー等を考慮しながら金利を引き下げていくのか、注目されるところだろうと思われる。

ECBがゼロ金利を実行できない理由。

世代間負担論の到達点 - 経済を良くするって、どうすれば

結局、「世代間格差」なるものは、少子化の大きさを示しているだけなのである。加藤先生の本のP.31には、世代間不均衡の国際比較が出ているが、不均衡の大きい日本、イタリア、ドイツは、少子化の国であり、その激しさの順に並んでいる。不均衡の小さい米国、フランスは、少子化のない国だ。巨額の財政赤字を抱える米国がドイツより小さいのは、人口が増えているためである。

………
前置きが長くなった。世代間負担論の到達点は、次のようなものだ。第一に、賦課方式は、長寿化について「フリーランチ」が得られるということである。それゆえ、長寿という人類にとっての福音がもたらされたときに、賦課方式の選択によって社会保障制度が整えられたのは当然のことだった。

第二に、少子化にならない限り、負担が給付を上回る「損」は出ないということだ。これは、「損」は、すべて少子化に原因があるということでもある。そこから、原因者負担の観点に立って、「損」は少子化を起こした者、すなわち、子供を持たなかった者が、すべて負うべきだという論理が出てくる。ただし、これは、理屈としては正しくても、社会常識からは外れている。筆者も、特に女性に説明するときには、慎重にしているところだ。

第三に、「損」の原因が少子化にあるのだから、賦課方式における給付と負担の均衡は、子供を持たない者に給付をしないことにすれば、達成できるということだ。親世代を子世代が支える賦課方式において、支える者のない「子供を持たない者」に給付しなければ、給付と負担が均衡することは、容易に想像できるだろう。「損」の発生は、少子化で細ってしまった子世代に多くの負担させたり、細った子世代を助けるために、少子化を起こした世代の給付を少なくしたりするために起こる。

第四に、もし、子供を持たない者にも給付をするのであれば、負担と給付を均衡させるには、子供を持たない者に「二重の負担」を課す必要があるということだ。子供を持たない者には、支える子世代がいないのであるから、その代わりに「二重の負担」をしてもらい、「積立金」を用意してもらわねばならない。子供に頼れない人には、貯金を用意してもらうという、普通の論理である。この場合、子供を持たない人の年金保険料は2倍となる。


(後半・今日の掲載分)
第五に、年金制度における最適な積立金の総額は、子供を持たない人の人数に従って、算定できるということである。例えば、少子化がなければ、年金積立金はゼロで良いし、逆に、誰も子供を持たなくなってしまったら、全員が「二重の負担」をしなければならないということになる。まあ、次世代がゼロ人では、貯蓄をしても無意味だろうが。

これによって計算される、子供を持たない人の分だけの最適な積立金の総額は、全員が「二重の負担」をする積立方式への転換で必要とされる総額より遥かに小さいものになる。激しい少子化を起こした団塊ジュニア世代は、まだ社会の中堅なので、直ちに2倍の負担をしてもらえば、今から最適額を確保することもできなくはない。

第六に、年金の賦課方式から積立方式への転換は、無意味だということである。この場合、積立方式への転換とは、子供のある人も含めて、全員が「二重の負担」をすることを意味する。子供を持たない人だけが負担すればよいものを、全員が負担するのは、おかしいということだ。子供のある人にも加重負担をかけて家計を苦しくし、子供を増やすことあきらめさせるようなことになったら、目もあてられない。

また、積立方式への転換は、数理的にも、無意味なことが証明されている(例えば、小塩隆士「人口減少時代の社会保障改革」)。積立方式への転換の意図は、少子化によって発生する「損」を避けようとするものだが、そのために必要になる「二重の負担」は、本質的に同じものなのである。

しかも、「二重の負担」は、出生率ゼロに対応するものなので、常に、少子化の「損」≦ 「二重の負担」の関係が成り立つ。つまり、少子化の「損」を避けるために、より大きな「二重の負担」をしようというのは、論理の破綻でしかない。かつて盛んだった積立方式への転換論が廃れた最大の理由はこれだ。問題は、方式の転換にあるのではなく、誰に「損」を負担をさせるのかである。

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まとめてみよう。世代間の不公平を、「給付より負担が大きくなって「損」をする世代が出ること」と定義すると、その原因は少子化にあり、原因者である「子供を持たない人」に、「二重の負担」、すなわち、2倍の保険料を課すようにするか、あるいは、給付をしないことにすれば、「損」は解消されるということである。

これを聞くと、「子供を持たない人」に「損」が寄せられただけに思われるかもしれないが、老後を支えてくれるはずの子供を残さなかったのだから、その代わりに2倍の保険料を払って貯金をしておくのは、当然の義務であろう。また、子供を養育するという負担を免れているのだから、貯金をするだけの余力もあると見ることもできる。

反対に、支えてくれる子供も、貯金も残さずに、老後を迎えるということは、親世代、同世代、子世代に迷惑をかけることになる。これが「不公平」の正体である。本当は、「不公平」は世代間ではなく、子供の有無にあるのだが、世代会計論は、世代別でしか勘定しないから、それが見えないのである。

「子供を持たない人」が2倍の負担をしなければならないことは、原因者責任という観点からだけでなく、経済的な視点からも正当化できる。子供の養育という、必要な人的投資をしなかったのだから、給付というリターンが得られないのは当然と考えるわけだ。人的投資をしないで、給付を受けたければ、代わりに貯蓄をして「物的投資」をするほかない。

この2倍の負担だが、現在の年金と健康保険の保険料率は、合わせて25%ほどであるから、その2倍を負担するとなると、大雑把に言って、子供のない人の保険料率は50%にもしなければならない。大変な負担に見えるが、子供を養育している家計の苦しさも、そんなものである。そうした重い負担を免れて、平等に給付を受けるとしたら、その経済的なインセンティブは極めて大きい。

もしかすれば、この大きなインセンティブは、社会保険へのフリーライド(タダ乗り)を助長して、今の少子化の一因になっているのかもしれない。裏返せば、「不公平」を正すために、子供のない人の保険料率を2倍にしたら、それぐらいならと、結婚をしたり、子供を持とうとする人が現れるかもしれないということである。

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実際の年金制度は、この少子化による「損」に、どのように対処しようとしているのであろうか。二つあって、一つは年金積立金による対応である。団塊の親世代や団塊世代は、少子化を起こさなかったから、年金数理的には積立金を残す必要はなかったが、給付に必要な以上の保険料を払って、積立金を残してくれた。もし、出生率が1.75程度の緩やかな少子化であれば、これで対処できて、世代間の「不公平」は生じなかっただろう。

ところが、団塊ジュニア世代は、この安全ネットを突き破る激しい少子化を起こしてしまった。そのため用意されたのは、年金国庫負担という名前の税負担による対処である。税負担を増し、年金国庫負担を1/2にまで引き上げなければ、保険料を下回る給付しかできないところに追い込まれていた。これに厚労省が必死になるのは当然だろう。

こうして、保険料負担の範囲では、一応、「損」の解消は実現された。小黒さんや加藤先生は、「事前積立方式」と称して、保険料率を現行計画より引き上げることを主張されているようだが、それをすると、税負担を軽くすることにつながるものの、他方で、保険料率に見合う給付ができなくなるという厄介な問題が生じるだけに思われる。「不公平」を正そうとするなら、やはり、少子化を緩和するか、子供を持たない人の負担増・給付減をするしかない。

………
世代間格差は、本当は、世代間に格差があるのではなく、世代によって少子化の度合いが異なるために、世代間に格差があるように見えているだけである。したがって、問題を解決しようと思うなら、世代間の格差を縮小しようするのではなく、少子化を緩和するか、子供の有無による不公平を正さなければならない。

最近の世代間格差の議論で気になることは、本質を取り違えているために、いたずらに負担増に走っているように見えることだ。実は、2004年の年金改革の計画では、未だ積立金を取り崩す時期ではなかったのだが、財政当局の緊縮財政によって内需が拡大せず、雇用者報酬が低迷して保険料が集まらなかったために、少子化の「損」を埋めるはずの積立金を減らす結果になった。

つまり、成長に見合わない無理な負担増は、いかに世代間格差なるものがあるとしても、結局は格差を広げるだけになる。特に、団塊ジュニアが激しい少子化を起こしてしまったのは、1997年のハシモトデフレの無謀な緊縮財政によって、それ以来、日本経済の低迷が続いていることがある。

世代間格差を解消すると称して、財政赤字の削減や年金積立金の増強を求めるのは結構だが、それによって増した貯蓄の使途、つまり、投資先まで考えないと、経済を縮小させるだけに終わる。投資先を考慮せず、ひたすら緊縮財政をやってしまうという、財政当局に特有の視野狭窄に陥ってはならないだろう。

また、貯蓄は、マクロ的には、いくらでもできるというものではない。貯蓄=投資であり、設備投資などを増していけば、労働力の限界に突き当たるからである。ただでさえ、少子化で労働力の天井は低くなっているのに、激しい少子化に見合う莫大な年金積立金=投資をしようとするのは無理がある。

日本は、1980年代からハシモトデフレまで、大規模な年金積立金の増強を行ったが、それによって消費不足を招き、それを補うのに、財政赤字を出して公共事業をすることを余儀なくされた。何ということはない、年金積立金で公共事業をしていたようなものである。無理な貯蓄をすると、経済に歪みが生ずるという格好の事例だ。

世代間格差とはつまるところ少子化の問題。
団塊ジュニア世代以降が子どもを作れるようにしていくことが重要。

不公平とパイの分け方 - 経済を良くするって、どうすれば

高齢者への社会保障給付は、2009年度に2.5兆円増えた。もし、日本経済が2.1%成長をするなら、GDPは11.3兆円ほど増えるから、給付増はその22%に当たる。高齢者の人口割合は23%(2009年)ほどであり、人口比に従って増加分の「パイ」を分けると考えれば、それほど「不公平」な感じはしない。

もちろん、経済成長が0.5%しかなければ、「パイ」のすべてを高齢者に持っていくことになるから、これは「不公平」だということになろう。痛みを分かち合おうというのも理解できる。こうしてみると、世代間の「不公平」論は、経済が成長しないことへの不満の矛先を、世代や社会保障に向けさせるものであることが分かる。

先ほど、「2.1%成長をするなら」と書いたが、これは、2003年度以降の平均値である。ただし、リーマン・ショックの2年間は除いたものだ。つまり、平時なら、日本は、これだけの成長ができるということだ。成長を果たした年においても、稚拙な緊縮財政で内需を阻害していたから、そんなことをしていなければ、もっと成長率は高かったろう。

例えば、2010年度は、マイナス14兆円の度外れたデフレ財政が試みられたにも関わらず、外需が好調だったこともあって、2.4%成長を達成した。さすがに、年度後半は、マイナス成長に沈んだが、内需寄与度は1.5%もあり、財政当局のイジメが軽ければ、4%近いV字回復もあり得ただろう。外需の好調時に、隠れて緊縮をし、潜在力を潰すのが、日本の財政当局の得意技である。世代間の損得の勘定より、財政運営の監視の方が遥かに重要だ。

今週の日経ビジネスの特集の「長寿がひらく未来」では、長野県泰阜村という山村が登場するのだが、高齢化のピークは過ぎて、高齢者の数が減り始めたという。実は、全国でも、高齢者数の急増は、あと3年ほどであり、その後は増加が鈍り、安定し始める。高齢者給付の人口要因による大幅な増加は、まもなく終わるということだ。そうなれば、「パイ」の配分の問題は、更に薄らいでいくだろう。

むろん、医療・介護に費用がかかる75歳以上の後期高齢者の急増は続くが、年金給付の50兆円に対して、医療給付は1/5、介護給付は1/7である。大半を占める年金給付は、成長して物価が上昇すれば、毎年0.9%の削減がかかることになっている。こういう観点からも、成長というのは大切なのである。

 

 

 

 

少子化を抜け出すか、経済成長をすれば、日本のかかえている問題は解決できる。

牛さん熊さんブログ : イタリアはアリで日本はキリギリス、イタリア国債と日本国債の大きな違い

日経ビジネスオンラインの記事「イタリア公債も、10年前は約8割が国内消化だった」(小黒一正氏著)によると、「10年前の1997年まで、イタリア公債は約8割が国内で消化されていたことが一目瞭然だ。つまり、この時点で、イタリア公債の海外保有割合は約2割にすぎなかった。しかし、その後の10年間で急速に海外保有割合が高まり、2011年には約4割にまで上昇している。」とある。

イタリアは10年間で海外保有割合が2割→4割(2011年)に上昇し、今の苦しみに直面している。
日本国債は低金利の影響で海外投資家に見向きされなかったこともあり、国内消化が続いてきた。そのぶん、財政再建努力が後回しになっている。

日本よ、雪白の翼を再び - 経済を良くするって、どうすれば

少子化だが、最大の原因は、乳幼児期の保育が圧倒的に不足していることにある。現在は、子供を産むと預け先に困り、容易に仕事に戻れない。いきおい、出産か、仕事かの択一となり、子供をあきらめる人が続出して、合計特殊出生率1.3台という極端な少子化になる。ここまでは常識である。

 なぜ、乳幼児の保育が不足しているのか。これはコストが極めて高いからである。0~2歳児は、1人の保育士が3~6人の子供しか看ることができない。3歳以上になると、これが20人になる。保育所不足も、よく見ると3歳以上は概ね足りているのは、そういうわけなのだ。このコストをどう賄うか。ここで消費税を持ち出すようでは知恵がない。

 必要なのは年金数理だ。若者が働き始め、年収300万円をもらうとすると、年間の年金保険料は48万円ほどになる。6年経って結婚する頃には、若い夫婦の累計額は6×2倍の576万円になる。社会保険というのは、払った分は返ってくるのが大原則である。そこが反対給付と無関係に取られる税とは異なる。つまり、この576万円は、請求権という形ではあるが、貯金のようなものだ。*1

 これを少子化対策に使えるようにする。具体的には、乳幼児期の0~2歳の3年間、月額8万円を引き出せるようにする。子供2人分なら総額576万円である。8万円あれば、無認可保育所でも楽に預けることができる。若い母親がこれだけの支払い能力を持てば、それを目当てに次々に保育サービスが供給されるようになるだろう。これで保育所探しに駆けずり回る必要はなくなる。この少子化の最大のネックが解消されることで、出生率は大きく向上し、若者が希望する水準である1.75まで伸びるだろう。*2

 さて、こんな給付をして、年金財政は大丈夫なのか? むろん、何の問題もない。乳幼児給付を行う分だけ、老後の年金給付は減るので、年金財政上は、差し引きゼロの中立になるからだ。年金制度は十分な積立金を持っているので、当面の資金繰りにも困らない。

 それなら、年金給付を減らして、老後の生活に支障は出ないのか? 実は、576万円と言っても、老後の給付全体から言えば、15%ほどに過ぎない。それどころか、乳幼児期の給付をする方が、逆に年金額は増すはずだ。

 なぜなら、女性が仕事を辞めずに済み、より多くの保険料を納められるようになるからだ。働き続けられれば、576万円くらいは簡単に取り戻せる。もし、どうしても年金を減らしたくないのなら、引き出さなければ良いだけだ。乳幼児給付は、引き出しの選択権を与えるものなのである。*3

少子化対策の財源として、年金を若いうちに引き出せる権利を子どもを持つ若者に与える。これは妙案だと思う。

金融そして時々山: IMF対日本処方箋を読む~支出削減は限界

日本の「社会保障費」を除いた政府支出は先進国の中でも一番低いからだ。また資本財への支出も95年をピークに着実に減少している。IMFはSustainability Reportでこのことを次のように指摘している。「日本の非社会保障支出は対GDP比で16%(2010年)とG20先進経済の中で一番低く、資本財への支出も妥当な水準まで低下していて、財政支出削減の余地はほとんどない。一方税収は消費税と個人所得税の低さを反映してG20の中で一番低い

つまり社会保障費以外の支出を削減して財政健全化を図ろうというのは、実効性はなく政治家のパフォーマンス以外の効果はない。

次に社会保障費の問題について考えよう。日本の社会保障費は年間108兆円(日経新聞朝2011年11月27日朝刊)。高齢化で毎年1兆円を上回るペースで増えている。IMFは社会保障費の7割は高齢者にかかわる支出だと推定している。

今日(11月28日)の日経新聞朝刊に「社会保障の給付と負担に関する」世論調査の集計がでていた。それによると「給付水準を抑えてでも費用負担を抑えるべきだ」が47%、「費用の負担を増やしてでも給付の水準を維持すべきだ」が35%だった。

ところで日本の社会保障費は諸外国と較べるとかなり低い水準である。少し古い統計だが、2003年のOECD20カ国の社会保障費の対GDP比率を比較した資料を見ると、トップはスウェーデンの31.9%、2位がフランス29.1%、3位がドイツで28.5%、日本は16位で18.4%、米国は19位で16.6%だった。

社会保障費を「年金」「医療」「その他」に分けると、「障害・労災・傷病」を含む「その他」の分野で日本の支出が一番低いことが特徴的である。また「保健医療」に関するGDP比支出割合を見ると、日本は6.1%でOECD平均の6.3%を下回っている。

以上のことから考えると日本で社会保障費を削減するとすれば、年金給付削減に焦点をあてるしかないと考えられる。

社会保障費、とりわけ年金給付削減に手をつけられないかぎり、
増税、とりわけ消費税を上げるしかない、という話。

◆ 生産性の向上と失業:  nando ブログ

不況対策として「生産性向上を」という発想がある。「生産性が向上すれば、多くの生産ができるので、経済が成長する」と。(小泉・竹中・池田信夫などの主張。)

しかし、この発想は正しくない。なぜなら、好況と不況のときでは、事情が異なるからだ。つまり、好況のときには成立するが、不況のときには成立しないからだ。
・ 好況のときには、供給力の増大で、生産量が増える。
・ 不況のときには、需要の制約で、生産量が増えない。

では、不況のときには、生産量が増えないとしたら、どうなるか? 「失業」または「労働時間の短縮」が起こる。

「失業」という問題が起こったときの解決策は、こうだ。
・ 「不況の継続」を前提とするならば、「ワークシェアリング」(労働時間の短縮)で失業解消。
・ 「不況の継続」を否定するのならば、景気対策をする。こちらが本命。

結論を言えば、こうだ。
生産性の向上があったとき、失業は起こるか? 不況でなければ、起こらない。不況であれば、起こる。ただしそれは、解決可能である。解決策は、「ワークシェアリング」(労働時間の短縮)または「不況脱出」である。
・ ワークシェアリングの場合 …… 得るものは同じだが、労働時間は減る。
・ 景気回復の場合 …… 労働時間は減らないが、得るものが増える。
どちらにしても、好ましいことだ。その意味で、生産性の向上は、好ましいことだ。
ただし、不況期に、対策を誤ると、時短の効果が一部の人だけに集中して、その人が失業してしまう。これは対処を誤った場合に相当する。

 

 

生産性を向上しさえすれば生産量が増えるわけではない。
不況の場合は、生産性の向上が失業をもたらしてしまう。 

◆ TPP と空洞化:  nando ブログ

TPP に反対して、農業を保護すれば、農業では失業が発生しない。しかしその分、(円高によって)空洞化が進むので、輸出産業で失業が発生する。
 兼業農家は、副業としての農業を守られることで、年間 30万円程度の所得を失わずに済むだろう。しかしながら、本業としての工場労働者としての職を失い、年間 200~300万円程度の所得を失うだろう。しかも、その場合、所得補償はない。
( ※ 農業自由化の場合には、所得補償がある。国全体の利益が増えるので、農業自由化の場合には、所得補償をする資金が生じる。)

鎖国でもしないかぎり、グローバル化とはお付き合いしなければいけない。
病気でたとえるなら、解熱剤で熱を下げることはできるが、その薬は別にウィルスを退治してくれているわけではないので、ちゃんとした措置を取らなければ、熱は収まらない。

消費増税への国民の理解 - 経済を良くするって、どうすれば

大平首相の増税策は、前の福田首相の大規模な財政出動の反動でもある。実は、福田が財政赤字という犠牲を払い、何とか日本経済を持ち上げていたことが、第二次オイルショックを軽症で済ませる要因ともなった。諸外国のダメージは日本以上に大きく、福田政権での余熱が引き締めを可能にしていた側面もあるのである。

日本の財政当局や有識者は、増税に関して、こうした経済的な問題を視野の外に置いている。あたかも、政治が決断し、国民に理解させれば、実現できるかのようだ。現実には、経済的に苦しければ、国民はダメ出しするという、それだけのことである。景気が上向きの1996年に、橋本首相は、消費税を抱えても総選挙に勝ち、その後、消費税に悪乗りした無謀な緊縮財政を敷いて経済を壊し、1998年の参院選で惨敗するのである。

今日の日経では、「年金債発行へ、消費増税で償還」という見出しが躍っている。「借金」をして、年金積立金という「貯金」をしようという奇妙な経済政策は、11/13に解説したように、年金を人質にとって無理にも消費増税を果たそうとするものだ。財政当局の戦略がいよいよ動き出した。これから、欧州に端を発する経済危機が深まる中で、どこまで国民が理解してくれるか、見物である。

野田首相は、財政当局のシナリオに乗り、2015年までに10%にしたいようだが、再来年の2013年度の経済見通しは、10/18で説明したように、1.4%成長といったところだ。これでは、1%の増税ですら厳しい。残り2年で10%まで上げるのは、奇跡に類する話だろう。芹沢さんには、こんな経済状況で、どうすれば増税できるのか聞いてみたい。これで無理押しすれば、芹沢さんが言う「政治ドラマ」が勃発するのは確かであるが。

日本の財政当局は、「どうせ日本は成長しないのだから、景気がどうだろうと増税する」という敗北主義である。教科書に答えがなければ、いとも簡単にあきらめるエリートの甘えを、国民が許すはずがない。「日本のリーダーなら、成長の答えを見つけて来い。大事をあきめて、増税など出来ようか」。それが国民の理解というものであろう。

 

 

 

景気がダメな時に増税で選挙をするのは愚策。
だが、そうなる。