企業悪玉論を超えて

1997年のハシモトデフレで自分でデフレに突っ込み、ゼロ金利となって金融政策という手段を失ってしまった日本が、財政政策の自由まで捨てているなら、米国の経済に連動することになるのは、ある意味、当然である。そうであれば、日米で物価上昇率が連動するのに何の不思議さもない。

実際、1993年に景気が底入れして以降、日本の景気は輸出に完全にパラレルになった。輸出と設備投資の相関は恐ろしいほどだ。これは、戦後の日本経済の歴史の中では異常な事態である。なぜなら、輸出から内需へと景気が波及していくパターンが通例だからだ。そうならなかったのは、輸出が増えると、財政を緊縮させ、波及を断ち切ることを、わざわざしていたからである。

輸出に景気を委ねてしまえば、日米の景気は連動するし、輸出型企業がライバルの米国企業の収益率を意識するのも自然だろう。また、それに影響を受けないはずの内需型企業にしても、財政で内需が潰されているのだから、低収益の事業を膨らませて、量で収益を大きくするわけにもいかない。収益を増やすには合理化一辺倒になる。こうして、内部留保は積み上がっていく

企業が高収益を目指し、投資を絞っているのは、ミクロ的な志向の集積というより、マクロ政策への適応の結果なのである。したがって、共産党のように、課税によって大企業から内部留保を取り上げれば良いというのではなく、それが投資に向かうような経済環境を作ってやるべきだろう。少なくとも、政府がスキあらば緊縮を狙うような状況では、設備投資、特に低収益のそれは、とても怖くてできないのである。


すきあらば内需を潰そうとする日本政府のもとでは、
企業は設備投資に二の足を踏んでしまう。